ウェブマガジン第9号中編

分子地球化学

 

-原子・分子レベルから地球をみる面白さ・重要さ-

 

 

高橋 嘉夫 (東京大学 大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 教授)

 

[1][2][3]

 

 「スペシエーションに基づく水圏環境化学の研究」

 

 前項で述べたようなより純粋な地球化学的研究にも増して、環境化学において化学的素過程解析は非常に重要である。例えば、対象とする元素が有害元素や放射性核種であった場合、その元素の挙動そのものが関心の中心となるからである。

 

 私は学生時代からアクチノイド元素というような、その挙動そのものに関心がもたれる元素について、環境化学的視点から研究を進めてきた。1999年頃から始めたXAFSによる化学種解明は、こうした分野で非常に有効であり、多くの指導学生と一緒に様々な元素の環境挙動に関する研究を推進した。このような視点からこれまで扱った元素には、アクチノイド元素以外に、ヒ素、アンチモン、セレン、テルル、タリウム、ヨウ素、スズ、鉛などがある。このうち、次の研究5では、ヒ素とアンチモンの研究を紹介している。

 

 

*研究5: XAFS法を用いたヒ素及びアンチモンの水-土壌系での分配挙動に関する研究

 

 ヒ素は、バングラデシュの地下水の汚染など、世界各地の地下水で高濃度に見出されている。その原因は必ずしも人為的なものばかりでなく、地球化学的反応の理解が重要である。またアンチモンは、ハイテク産業の製品に多く含まれ、先進国型の汚染元素といわれている。そのため、これらの元素の化学種を調べて、その挙動を正しく予測することが重要になる。こうした背景に加えて、ヒ素とアンチモンという同族の元素の挙動を比較することで、2つの元素の地球化学にも新たな情報が得られる。同様の動機で、セレンとテルルの研究も進めており、多くの成果が得られつつある。

 

 また同様のアプローチで、原発事故で放出されたセシウムやヨウ素の挙動についても研究を進めている。このような研究から、分子地球化学的アプローチは、環境汚染・汚染元素の挙動解明などの分野で極めて重要であることが分かるであろう。

 

*研究6: 放射性セシウムの水-土壌-河川系での挙動解明(地球化学研究協会霞が関講座資料)

 

 

「スペシエーションに基づくエアロゾル中の元素の環境影響評価」

 

 水圏での環境化学研究を進めている間に、外部からのプロジェクト参加への依頼があり、黄砂などのエアロゾルを調べることになった。最初はとまどい、しばらくは割り当てられた仕事をこなすことに終始していたが、ある時エアロゾル表面で起きている化学反応は多くの場合水を介したものであるため、これまで扱ってきた水圏地球化学と同様の化学的知識が生かされる分野であることに気付いた。それで、エアロゾルを対象にしたXAFS実験を開始し、その中の様々な元素の化学種を調べることを始めた。これらの研究では特に、イオウ、カルシウム、鉄、亜鉛、鉛などを対象としているが、それぞれに別の環境化学的意義があり、非常に面白い。例えば、以下の研究7では、黄砂粒子による酸性大気物質の中和を扱っていて、その現象自体は知られたものであるが、放射光を用いたXAFS分析を行うことで、その化学的素過程がより明快に理解されることが分かる。

 

*研究7: 黄砂粒子による酸性雨の中和過程(高エネルギー加速器研究機構(KEK)の関連記事[1]

 

 

 またエアロゾルは、地球を寒冷化することで脚光を浴びており、その中でもエアロゾルが水を吸って雲を作る効果(間接的冷却効果)が注目されている(図8)。例えば、PM2.5などにも豊富に含まれる硫酸エアロゾルは、水を吸って雲を形成し、地球を冷やすとされている。ここで想定されているのは、主に硫酸アンモニウムという物質である。しかし、もし硫酸が硫酸カルシウムなど不溶性の化学種で存在したならば、水を吸わないので、間接的冷却効果は著しく低下するはずである。エアロゾル中の化学成分がどのような化学種であるかを調べることが、エアロゾルの持つ間接的冷却効果の評価に影響するというわけだ。もう少し大雑把にいえば、エアロゾル中の化学種の解明は、正確な地球温暖化の予測に必要ということになる。

 

 

研究8: 気中の有機錯体の生成と地球寒冷化効果への影響 (KEK関連記事総説論文[1][2]

 

 

「基礎研究が新たな工学的研究を生み出す」

 

 こうした元素の地球表層での挙動解明の分野では、その化学的素過程に微生物が関与する場合が多い(例:酸化還元反応、吸着反応など)。そこで我々は、希土類元素の水圏での挙動に及ぼす微生物への吸着反応に関する研究も進めてきた。希土類元素は微生物細胞表面に濃集することが分かり、またその中でも重希土類元素が特異的に濃縮することから、希土類元素パターンがバイオマーカーとして使える可能性を指摘した。そんな折の2010年にレアアース(希土類元素)の資源問題が国内で深刻になり、我々の研究室では、これまでの研究をベースに微生物を用いたレアアースの分離・回収の研究を進め、この濃集が細胞表面のリン酸基によることをXAFS法で明らかにした。そしてこの研究成果がきっかけになり、同様にリン酸基を持つDNAを用いて、レアアースの分離・回収を行う研究に対象が広がった。実際の回収に用いる媒体として、微生物は培養が必要などの難点がある一方、DNAは産業廃棄物である白子などに多量に含まれ、DNAそのものは無害なので、レアアースの分離・回収にDNAは理想的な資材であることを示した。このような工学的な研究も、もともとは希土類元素の挙動解明や微生物表面での反応サイトを原子レベルで解明した結果が発展したものであり、基礎研究が新たな応用研究の途を開くことを改めて示したといえる(図9)。

 

 

研究9: 微生物やDNA・白子を用いたレアアースの回収(SPring-8やKEKの関連記事[1], [2]

 

後編「ビバXAFS!」につづく