学生の声

「日本沈没」と海洋底のでこぼこのはなし
三浦 亮 (海洋研究所 博士3年)

 

はじめに
私は現在、東京大学大学院理学系研究科・地球惑星科学専攻の博士課程に在籍しています。といっても、 文京区本郷7丁目のメインキャンパスにいるわけではなくて、中野区南台1丁目の海洋研究所というところで海洋地質学・テクトニクスの研究、おもにプレート沈み込み帯 の地質構造とテクトニクスについての研究や海山・海台の地質構造についての研究をしています。ここでは、私の研究内容について紹介したいと思います。

「日本沈没」について
 日本を代表するSF作家の小松左京氏の長編「日本沈没」は、1973年に刊行されて大ベストセラーとなり、当時としては破格の制作費5億円をかけ、豪華キャストで映画化もされました。一応、粗筋を以下に紹介します。

 小笠原諸島の北で小さな島が一夜のうちに沈んだ。その調査のために深海潜水艇「わだつみ」で潜航調査を行った地球物理学者・田所博士、海洋地質学者・幸長助教授、潜水艇操縦者の小野寺は、小笠原海溝の底で、地質学・地球物理学の常識では説明のできない異変を発見する。やがて日本各地で火山の噴火や大規模な地震が頻発するようになる。「最悪の場合、日本列島の大部分が海底に沈む」という田所博士の警告に、政府は極秘に日本周辺、とくに日本海溝の集中的な地球物理観測と、日本国民全員の退避作戦からなる「D計画」を進める。その結果、D計画の観測チームは、日本周辺でのマントル対流の変化により、最短で約2年以内に日本列島が海中に沈むことを明らかにした。実際に変動が始まり、「日本列島が沈没する」という事実が半信半疑であった国際社会に受け入れられはじめ、日本国民を救援する手が差しのべられるようになる。度重なる火山の噴火や地震、津波の末、日本列島は東西に引き裂かれながら海中に没し、日本人は世界中に散らばり「流浪の民」となるのだった。

 「日本沈没」に盛り込まれた地球科学の知識は、1970年代初頭における最先端のものでした。1960年代の末には、プレート・テクトニクスが提唱され、それまでの地球観を大きく変えていた頃でもあります。 現在までにさまざまな地球物理学的、地質学的な研究が行われたことにより、「日本沈没」が書かれた頃よりも多くのことが明らかになってきており、小説に描かれた地球科学的な内容はすでに時代遅れとなってきています。しかし、「日本列島が沈没する」という、一見荒唐無稽なこの小説の設定も、あながち的外れではないことが、80 年代から90年代にかけての研究で明らかにされていきます。

日本海溝での深海掘削と
「テクトニック・エロージョン」

 1980年、深海掘削船「グローマー・チャレンジャー」号は、青森県八戸市の沖、日本海溝の陸側斜面で掘削調査を行いました。その結果、現在の水深が約3000mにも達するような深海底から掘り進んだところ、礫岩を掘り当てました。この礫岩は陸域、もしくは陸に隣接する浅海域で堆積したものと推定されたのです。これが現在の水面から約3000mよりも深いところにあるわけですから、もともと陸域だったはずのところが深海に「沈没」したことを意味すると考えられるのです。

このような「沈没」を説明する現象として、プレート収束境界(沈み込み帯)において、海溝の陸側を構成する大陸や島弧が削られるという「テクトニック・エロージョン(造構性侵食作用)」という現象が起こっていることが考えられました。プレート収束境界(沈み込み帯)では、たとえば南海トラフのように、沈み込む海洋プレート上の遠洋性~半遠洋性堆積物や、陸側から海溝域に流れ込んできた陸源性堆積物が陸側プレートに付加して付加体を形成する、「付加作用」が起こっている沈み込み帯と、日本海溝や伊豆小笠原海溝のように付加作用が起こっていない沈み込み帯とがあると考えられています。

左下の図は環太平洋域に見られる沈み込み帯を、「付加型沈み込み帯」(赤い線で示す)と「非付加型沈み込み帯」(黄色い線で示す)とに分けたものです。造構性侵食作用は、この「非付加型沈み込み帯」で起こるもので、沈み込まれる側のプレートの陸側斜面前縁部が崩壊し、沈み込む海洋プレートとともに地球内部に持ち込まれる、というプロセスです。

Roland von HueneとSerge Lallemandは、1990年の論文で、日本海溝やペルー海溝での深海掘削や、反射法地震探査による地質構造調査などの結果から、これらの海溝では付加作用が起こっておらず、造構性侵食作用が進行していることを示しました。彼らは、日本海溝の陸側斜面の沈降量が大きい(3000万年の間に3000mも沈降しているのです!)ことを説明するために、「下底侵食作用」のモデルを提唱し、陸側斜面の削剥量を見積もりました。下の図は、そのモデルを説明した図です。