学生の声

海洋中層水-表層でも深層でもなく-

上野 洋路(大気海洋科学講座・日本学術振興会特別研究員PD)

私が修士課程、博士課程の計5年間(1998年4月~2003年3月)で取り組んだ研究テーマは、北太平洋中高緯度域の中層循環です。海洋中層の厳密な定義はありませんが、深さで言うと200m~1500m程度の範囲を指し、10年~100年の時間スケールで変動していると考えられています。この海洋中層に存在している海水(海洋中層水)は、人為起源二酸化炭素の循環等を通じて気候変動と深い関わりがあると考えられていますが、その形成と循環及び変動にはまだまだ未知の部分が残されています。

1. 海の鉛直構造

海洋中層水の話の前に、海の水温・塩分鉛直構造に関する簡単な説明をしたいと思います。海水の密度は水温と塩分(正確には更に圧力)によって決まっており、海洋中の大規模循環場は密度場と関係しています。このため、海洋の水温と塩分を知ることは海の理解の重要な要素になっています。

図1 <水温>
海洋は海面から加熱され、海水(塩分約3%)は冷たいほど重い為、一般に海水温は深さと共に減少します(例:図1a, 45°N以南)しかし、北太平洋亜寒帯域(45°N以北)では水深200~300m付近に水温の極大が存在しています。この水温極大構造は中暖構造と呼ばれ、極大付近の海水は中暖水と呼ばれています。また、低温の深層水は北大西洋北部や南極海で形成されていると考えられています。

<塩分>
北太平洋亜寒帯域では、深さと共に塩分が増加していますが、亜熱帯域では3000700m付近に塩分極小層が存在しています。亜寒帯域で海面ほど低塩分なのは、この海域で降水が蒸発を上回るためであり、また、亜熱帯域表層が高塩分なのは蒸発過剰なためと考えられます。しかし、亜熱帯域中層の塩分極小は降水、蒸発過程だけでは説明不可能です。この塩分極小水は北太平洋中層水とよばれ、その形成機構及び循環に関して数多くの研究がなされてきました。

2.海洋中層水とは?

図2は北太平洋亜熱帯域における水温・塩分の鉛直構造を示したものです。水温は海面から700m付近まで急激に減少していますが、2000m以深ではほぼ一定になっています。 図2 海洋物理学の分野において、この低温で水温が比較的一定となっている層(図2の海域では200003000m以深)は一般に深層と呼ばれ、その海水は深層水と呼ばれます。深層の循環は北大西洋北部や南極海における低温高塩分水の沈降と全海洋における海水の乱流混合過程によって駆動されていると考えられています(熱塩循環)。それに対して、図2の500m付近に存在する水温躍層(水温の鉛直勾配が大きい層)より浅い層は一般に表層と呼ばれ、主に海上風の摩擦力によって駆動されていると考えられています(風成循環)。このように、海洋は大まかには高温な表層と低温な深層の二層構造で捉えることが可能ですが、実際には更に細かい層構造を成しています。また、海域によって鉛直構造、海水の性質は大きく異なるため、通常は「北大西洋深層水」、「南極中層水」等の固有名詞が用いられています。

「中層」は上で述べた細かい層構造の一つであり、大まかには表層と深層の中間を指します。しかし、この中層は北太平洋亜熱帯域で塩分極小(図1、2)亜寒帯域で水温極大(図1a)という顕著な特徴を持つため、多くの研究者を引き付けてきました。特に塩分極小構造は他の大洋でも顕著な構造であり、塩分極小は中層を特徴付けるキーワードになっています。また、最近では人為起源二酸化炭素の吸収という観点からも中層循環が注目を集めています。

3. 北太平洋中層水

図1、2に示された塩分極小付近の海水は北太平洋中層水と呼ばれ、その熱及び物質輸送は、気候の長期変動と深い関わりがあると考えられています。この北太平洋中層水の循環や形成機構は、米国スクリップス海洋研究所のリン・タリー教授および大気海洋科学大講座の安田一郎助教授らを中心とする最近の研究により徐々に明らかになりつつあります。

図3 北太平洋中層水は、北緯20045度、深さ3000700mに分布し、亜熱帯域を時計まわりに循環しています。この中層水は、日本の東方海域で黒潮水(亜熱帯水)と親潮水(亜寒帯水)が混合することによって形成され、循環の時間スケールは10年0100年程度であると考えられています。また、日本の東方海域は「混合水域」と呼ばれ、渦の存在などにより鉛直水平方向に複雑な水温・塩分構造をしていることが知られています。この混合水域では、中層以外でも黒潮水と親潮水の混合が起こっていますが、(1)表層では高温高塩分な黒潮水の混合比率が高いため比較的高塩分な海水が形成され、(2)中層では低温低塩分な親潮水の影響が大きいため比較的低塩分な海水が形成、更に(3)中層以深では黒潮親潮ともに高塩分であるため中層に塩分の極小層が形成されることが指摘されています。

また、北太平洋中層水は人為起源二酸化炭素を海洋に隔離する働きを担っていることが指摘されています。北太平洋亜寒帯域では、海上風、海面冷却及び千島列島付近の強い潮汐流などによる混合過程により、大気中の二酸化炭素が比較的深い(重い)層まで取り込まれると考えられています。この大気の影響を強く受けた海水の一部は親潮により亜熱帯域へ輸送されて黒潮水と混合、北太平洋中層水として亜熱帯域中層を循環します。亜熱帯域中層では拡散混合が比較的小さいと考えられるため、溶存する二酸化炭素は亜熱帯域を循環する間(10年0100年程度)大気から隔離されることになります。この二酸化炭素は最終的には大気に放出されると考えられますが、大気中の二酸化炭素は現在増加しつつあるため、放出量より吸収量の方が多くなり、結果として大気中の二酸化炭素は正味で海洋に吸収されることになります。これらの過程を正確に把握することは、気候の長期変動の理解と予測に必要不可欠であると考えられますが、現在ではまだまだ不十分であり、活発に研究が行われています。

4. 亜寒帯域中暖水

北太平洋亜寒帯域には水温極大構造が存在し、中暖構造と呼ばれています。ここでは、中暖構造の分布と形成に関して筆者自身が行った研究の一部を紹介したいと思います。 図4 中暖構造とは、水温が鉛直方向に極大、極小を持つ構造のことであり、それぞれ中暖水、中冷水と呼ばれています(図4)。高温高塩な中暖水と低塩な表層水の間には強い塩分躍層(塩分の鉛直勾配が大きい層)が存在し、安定な密度成層を形成しています。この強い塩分躍層の存在は、北太平洋において深層水が形成されないことの一因であると考えられています。

図4に示された中暖構造は、(a)冬季の海面冷却・混合による中冷水の形成、及び(b)夏季の加熱による表層の高温化によって形成されると考えられてきました。しかし、中暖水の熱と塩分がどのように維持されているかを議論した研究は殆どなされておらず、また中暖、中冷水の空間分布も明確にはなっていませんでした。そこで私たちは、中暖構造の分布及び形成過程を明らかにすることを目的とし、データ解析により研究を行いました。

図5・6 私たちはまず、長期間の海洋観測資料を平均化した気候値データセットを用いた解析により中暖構造の分布及び形成過程を調べました。その結果、中暖構造は45°N以北に分布し、中暖水は西ほど深く重いが、中冷水の深度、密度はほぼ一定であることが示されました(図5)。また、中暖構造は亜寒帯全域で平均した水温の鉛直分布にも一年を通じて存在することから、他海域から亜寒帯域への中層熱輸送の存在が示唆されます。そこで、地衡流流線を用いて亜寒帯域に流入する高温高塩分水を調べたところ、中層において日本東方海域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送の存在が示されました(図6)。風応力場から見積られる亜熱帯-亜寒帯循環境界を南から北へ横切るこの輸送により、亜寒帯域中暖水の熱と塩分は維持されていると考えられます。

中暖構造の分布は冬季に海表面が亜表層より低温になる海域と良く一致します(図7)。この一致した海域では、(1)日本東方海域からアラスカ湾北部へ向かう高温高塩分水輸送による中暖層への熱、塩分供給、(2)冬季の海面冷却、混合による表層、亜表層の低温化(中冷水形成)、及び(3)夏季の海面加熱というメカニズムで中暖構造が形成されると考えられます。 図7 一方、170°E-150°W, 44°-49°Nの海域には中暖構造が存在しますが、一年を通じて海表面は亜表層より高温です。そのため、この海域の中暖構造は中層への暖水供給と海面冷却では説明できません。そこで粒子追跡数値実験を行った結果、この海域の中暖構造は西部の表層低温低塩分水の亜表層への貫入とその下層における日本東方からの高温高塩分水輸送により形成されていることが示されました。

私たちは更に、高精度、高分解能の最新観測データを用いた解析、及びインバース法を用いた解析を行い。上記の説をより確かなものにしました。

5. 海洋中層水研究の今後

北太平洋に関しては、北太平洋中層水および中暖水の形成機構は徐々に明らかになってきています。しかしながら、その変動に関する理解はまだまだ不十分です。気候の長期変動を正確に予測するためにも、変動の時間スケールが比較的長いと考えられる海洋中層の変動を理解することは必要不可欠であると考えられます。