学生の声
吉岡 由紀 (地球生命圏科学講座 博士1年)
私は現在地球惑星科学専攻の進化古生物学セミナーでアンモナイト化石の研究をしています.具体的な内容は後で書くことにして,まずはなぜこの道を選び,ここにいるのかということについてお話ししたいと思います.
高校生の時
高校生の時私は,大学に進学しようと思っていました.しようと思ったら当たり前ですが,何を学びたいかをわくわくしながら迷った覚えがあります.そんなときに目にした,一つのTV特集,これはカンブリア紀の生命の爆発をあつかったもので,ロッキー山脈にある有名な,カンブリア紀の化石を産出する,バージェス頁岩を取り上げたものでした.これが決定打でした.私は,バージェス頁岩に行きたい,絶対行こう,と思いました.さらにまた,生命の起源を知りたいとTVをみながら強くモチベーションに駆られていました.生物が好きで,生命が不思議で,想像が好きでした.生きているという,その意味を問いだせばきりがなく,でも考えずにはいられませんでした.生命の意味を探求せずして良い人生を送れないような気がしていました.
だから大学は,その探求の第一歩となるような研究をしているところへ進学しようと思いました.それは哲学でもあり,生物学でもあり,数学でもあり,化学でもありました.とにかくあらゆることがすべて一つにつながっていると思えました.それで,結局どうすればよいのか,日本の高校教育に,その答えを求めてもだれも答えてはくれませんでした.結局選んだのは地元九州大学の理学部地球惑星科学科でした.地球惑星科学という複合的な分野ならば生命の不思議について何かしらのアプローチができるかもしれないと思ったからでした.
学部生時代
「地球惑星科学科」というと,名前だけではつかみ所のない,何をやっているのかわからない学科というイメージが強いようです.実際私も知り合いのおじさんから「猿の惑星でも探しにいくのか?」などと爆笑されたりしたこともありました.実際入ってみて,日本における地球惑星科学科というのはまだまだ既存の学科を組み合わせただけで,それぞれの横の連携が薄いように感じました.もっと横のつながりを深めて,複合的な研究ができる環境を整えてほしいというのが実感でした.
ところで,私の興味は生命が誕生してから,どのような道のりを歩んで私たち人間が存在するのか?ということでした.いろいろ考えた結果,生物進化の直接の証拠である化石記録を使って進化の道のりを一歩ずつ明らかにしていこう,と思いました.もちろんこれには私が石マニアだという背景もありました.ところが進学した九州大学では大型化石を使って進化を研究しているところはほとんど無く,少しがっかりしました.高校生の時には大学の中でどんな研究が行われているのかなんてほとんどわからなかったのです.ですから大学院では絶対に化石を使って生物の進化を研究できるところへ進学しようと思いました.九州大学では直接化石を研究することはできなかったのですが,卒業論文では化石を研究するための基礎となる「地質調査」の技術を学びました.
-国際会議初体験,そしてバージェス頁岩へ-
学部3年の夏休み,この休みを逃したら二度と長期の休みは取れなくなると思い,思い切って,二ヶ月間のカナダ一人旅を計画しました.せっかくロッキー山脈の近くに行けるのですからこのチャンスを逃したくないと思い,大学の先生に,バージェス頁岩の化石だけでも見学できないかと相談しました.するとちょうどそのときに第14回石炭-ペルム系国際会議がカルガリー大学で開催され,それに付随する巡検としてバージェス頁岩見学があるということを教えていただきました.このチャンスを逃すわけにはいかない!と思い,なにもわからないままとにかく学会の参加登録をして,巡検へ申し込みをしました.
「絶対に行く」と夢にまで見ていたバージェス頁岩へいける!それはもうわくわくしました.そしてたった一人カナダへ乗り込んで,最初の一月はビクトリア大学での語学研修に参加し,次の一月はホームステイをしながら,国際会議に参加しました.会議ではIceBreaking Partyやオープニングセレモニー,などなど国内学会にも参加したことの無かった私には何もかもが目新しく,刺激的でした.様々なセッションに顔を出して話を聞いたのですが,なにぶん学部の3年生,専門用語の飛び交う発表にはなかなかついていけませんでした.そして巡検の日.早朝にカルガリー大学をバスで出発しました.バスの中では案内者であるカルガリー大学のヘンダーソン博士が周辺の地質について詳しい解説をしてくれました.バスを降りてから,約10?qのかなり厳しいハイキングの末,化石発掘現場に到着しました.途中には氷河をいただくロッキーの山々,美しいエメラルド色の湖があり,その大陸ならではの景観に圧倒されっぱなしでした.ちょうど,現場ではロイヤルオンタリオ博物館の研究グループが発掘調査を行っている最中でその陣頭指揮をとっておられたバージェス動物群研究の第一人者であるコリンズ博士が様々な,バージェス頁岩とその産出化石群に関する話を聞かせてくださいました.また現場にはその日に発掘された様々な化石が並べておいてあり,ハンマーをふるえない(国立公園のため厳しく禁じられている)私たちにも,実際の化石が手にとってわかるよう配慮されていました.
三葉虫の化石 | 甲殻類の化石 |
バージェス頁岩マニアにはおなじみのアノマロカリスやマーレラ,カナダスピスなど,写真でしかみることのできなかった化石たちに実際に現場で出会えた感激は今でも忘れられません.そこら中に落ちている頁岩の破片を手に取ると,すぐに三葉虫やオドントグリフスといった化石が現れたのにも感動しました.そして私はやっぱり化石の研究がしたい!との思いを強くしました.ちなみにバージェス頁岩へは毎夏ヨーホーの国立公園が主催する巡検があり,一般の人でも参加できるようになっています.詳しくはhttp://www.burgess-shale.bc.ca/ このサイトから応募できるようになっていますので興味のある方は参照してみてください.
修士課程-他大学からの受験-
学部生時代の指導教官からの紹介もあり,ここ東京大学理学系研究科地球惑星科学専攻に進化古生物セミナーがあることを知りました.そこで現在の指導教官とコンタクトをとり,研究テーマを相談しました.私の希望は化石を使って生物進化に関わる研究をしたいということでしたので,指導教官である棚部先生のもとで,アンモナイトを材料とした進化・系統の研究をすることになりました.受験に際しては東大の学部でどのような授業が行われていたのかの情報や,院試の裏(?)情報などが手に入りづらく不安でした.同じように他大学から受験した先輩のアドバイスによって,地球科学を概説した参考書などを頼りに勉強しました.結局は学部も地球惑星科学科でしたので,院試は九州大学で学んだ知識と,もともと少しはあった英語力でなんとかなりました.東京大学は外部から入学できる院生の枠が広く,入りやすかったこともあって,無事に合格することができました.
-現在の研究テーマ-
現在私は主にジュラ紀から白亜紀のアンモナイト類の化石を使って,「系統学」に関する研究をしています.「系統」とは平たく言うと「生物群間の祖先-子孫関係」ということです.これは生物の「進化」を考える上でもっとも基礎的なデータを与える重要な概念です.化石生物であるアンモナイトは絶滅しているためDNAなど現生の生物から得られる重要な情報が得られない,という問題点も抱えています.しかしアンモナイトは中生代(約2億5千万年前から約6千5百万年前までの期間)の重要な示準化石となっていることからもわかるように,世界中から非常に豊富に産出します.またその形態をみると,くるくると螺旋を描いた様な有名な形のものから,とげの生えたもの,グニャグニャと一見訳のわからないような巻き方をしたものまで,非常に多様性が高い生物でもあります.またなんといっても重要なのは,化石が「地層」から産出することです.これはその化石が確実に,ある過去に生きていた証であり,その種の生存期間を疑いようもなく決定することができるという最大のメリットでもあります.アンモナイトはまた,約3億5千万年という長い生存期間をもっており,その間に数度の大量絶滅事変,そこからの目を見張るまでの多様性の回復,といった事象を経験している動物群でもあります.
私の研究の目標は,このアンモナイトをモデル生物として,生物の進化様式を解明することにあります.生命はいかにして絶滅事変を乗り越え進化・発展を遂げてきたのか?この疑問を解決するべく修士課程でまずは白亜紀のアンモナイトの系統関係を復元することを試みました.これからは対象を白亜紀だけではなくジュラ紀のアンモナイトにも広げて,系統関係を復元し,三畳紀の大量絶滅以降,ジュラ紀からのアンモナイトが多様性の回復を遂げていく様子を明らかにしようとしています.
-最後に-
私という人間が,今ここに存在している.私にはこのことが不思議でなりません.そしてその不思議の解明に一歩でも(たとえそれがどんなに小さな一歩でも)近づけるようにと私は科学という道を選びました.それの意味するところは今のところ,生命の起源を科学の言葉で立証しようとするということだと理解しています.けれどももしこの方法で立証できたとして,その先にはなにが待っているのか,私には分かりません.ただ思うことは,生命の起源,その真理に迫るには他の言葉も必要だということです.科学だけの言葉で語れる真理はひとつもないのだと思っています.それからまた,なにが真理でなにが虚偽なのかは,誰にも答えることができそうもないことだと思っています.けれどそれを心の底から問うてしまう,私という存在があるのです.不思議ですね.