学生の声

 新生代の突発的温暖化イベント
  菅沼 悠介 (海洋研究所海洋底科学部門地質学分野 博士2年)

 

突発的温暖化イベント?
 たとえば今人々に,「気になる地球環境問題は何ですか?」と質問したとします.すると,多くの人が「地球温暖化について」と答えるのではないでしょうか.確かに現在,大気中の炭酸ガス濃度は上昇を続けており,この上昇に伴い地球の平均気温も上昇すると言われています.では地球は,その長い歴史の中でこの様な気温上昇を経験したことが無いのでしょうか?その答えは海の底にあります.つまり海底堆積物として過去の様々な情報が記録されているわけです.実は海底に限らず「堆積物」の記録を紐解くことにより過去の情報を得ることは出来るのですが,ここでは私の研究テーマである「海底堆積物に記録される新生代の突発型温暖化イベント」について紹介したいと思います.ただしその前に,僕の所属研究室について簡単に触れておきます.
 私は現在東京大学海洋研究所という本郷キャンパスから少し離れた場所で,日々研究?に励んでいます.海洋研究所はその名の通り海洋の研究を目的とした研究所ですが,その中身は多種多様です.例えば深海生物や海洋循環の研究している方々も多くいます.その中で私の所属する海洋底地質学分野は海洋堆積物に関連した研究を行うグループです.新しくは現生の有孔虫,古くは白亜紀(約1億5000万~約6400万年前)の古環境までの広い年代幅で,様々な研究を行う人々がいる私たちのグループの中で,私はLPTM(Latest Paleocene Thermal Maximum)イベントとして知られる新生代のなかで最も突発的な温暖化の起きた時期として知られる暁新世―始新世境界(約5500万年前)を研究対象として選びました.実は私は卒論,修論と長野,山梨の山々を調査地としたいわゆる「野外地質学」を経験してきたのですが,博士課程に進むとともに,調査地を海へ,研究対象を古環境へと大きな方向転換を行ったわけです.この方向転換のあらましについては「進学のあれこれ」で触れます.

 LPTMは地球史上の多くのイベントの中でも比較的最近の90年代の初頭にその存在が示されたものの1つです.従来,底生有孔虫の絶滅で知られていた暁新世―始新世境界が実は地球規模の急激な海水温上昇のピークであったことが分かったのです.驚くことに,この時南極海の海底水温が10℃以上にまで上昇したと言われています.もちろんこの様な海水温上昇は海洋環境変動のみならず,地球全体の気候変動を引き起こしたと考えられ,この発見以来多くの研究者がこのイベントの様々な証拠を発見しました.しかしながら現在もこのイベントの詳細,規模は十分に明らかにされておらず,そして起源ついては多くの仮説が提案されている状態です.そして地球科学の数あるテーマの中で,多くの謎が残されているLTPMに私のフロンティアスピリッツ?が刺激され,また一人の大学院生でも太刀打ちできる可能性を感じ,このイベントを研究テーマと選ぶことにしました.多くの人々にとって,地球史上の大イベントである隕石衝突,恐竜絶滅で知られるK/T境界や,大規模な黒色頁岩の堆積で知られる海洋無酸素事変などと比較すると,LPTMの印象は小さいものかもしれません.しかし,このイベントが新生代に起きたこと,そしてその規模が現在進行中の地球温暖化とほぼ同等と言われていることなどから,私はこのイベントの全容を解明することが非常に意義のある事であると考えています.

 さて,研究を始めるには当然その対象物が必要です.しかし,一言に5000万年以上前の地層が必要だと言ってもそれは簡単なことではありません.そしてこの事がLPTMや他の地球史上のイベント研究進展の最大の障害となっています.しかし,その困難を可能としてくれるのがODPとして知られる自然科学の世界的なプロジェクトです.ODPはOcean Drilling Programの略で, その名の通り海を掘削する計画であり,世界中の海へ出かけ,海底の地層を掘るというものです.ODPの航海は通常約2ヶ月を1つの航海として計画され,毎回世界中から約30名の科学者が乗船します.この約30人の研究者はそれぞれの専門毎に,例えば堆積学8人,有機地球科学2人,と言うように航海のテーマに沿った人数配分で選ばれます.幸運なことに,今回私はこの30人の研究者の1人(古地磁気学)としてODP航海に乗船する機会を頂き,2003年1~3月にかけて赤道大西洋,南米ギアナ沖での掘削に参加してきました.ちなみに本航海のテーマは,前述のLPTMと,白亜紀に数回にわたって起きたとされる海洋無酸素事変でした.
  1月初旬,ODP航海参加のため真冬の日本を発った私は,ニューヨークを経由して常夏の島バルバドスに降り立ちました.バルバドスはカリブ海に浮かぶ英語を公用語とする青い海と白い砂浜が印象的な国です.余暇を利用して「地質的視野?」から島内の観光もしましたが,治安の不安も少なく全3日間の滞在をとても快適に過ごすことが出来ました.さて,乗船前の最後の余暇を過ごした後,いよいよODP研究船「JOIDES Resolution」(以後J.R号)への乗船です.実は私にとってJ.R号とは初めての対面ではありませんでした.過去J.R号は何度も日本へ寄港した経験があり,2001年秋の寄港の際には海洋研究所が中心となり一般公開が開かれました.その時,まだ私は海洋研究所所属ではありませんでしたが,先輩の紹介で一般公開の手伝いをさせて頂いたのです.与えられた僕の仕事はJ.R号内の研究棟の入り口の「ドアマン」でした.見学者,スタッフ,そして研究者が通るたびドアの開け閉めをしたのです.その時は,まさか一年半後には研究者としてそのドアを通ることになるとは想像も出来なかったので,今回研究者の一人としてJ.R号に乗船し,最初にそのドアを通ったときは感慨深いものがありました.

 J.R号乗船後,船内生活,安全管理,そして避難訓練などのガイダンスを済ませると,いよいよ研究船としての活動が始まります.最初の数回のミーティングは,本航海のCo-chief(主席乗船研究者)による諸注意,スケジュールの説明や自己紹介などが簡単に行われますが,数日後には研究テーマ毎に,航海前に提出したサンプルリクエストに基づくサンプルの分配についてのミーティングが開かれます.この時,研究者間で競合するテーマやサンプルについては熾烈な交渉が行われます.お世辞にも英会話が得意と言えない私は,この突然始まるサンプル分配交渉に戸惑い,また苦労しました.しかし幸いながら,もう一人の日本人研究者である九州大の西さんの助けもあり,問題なく自分の主張を聞いてもらうことが出来ました.一介の大学院生も船上では一人前の研究者として扱われ,また義務も要求されるという環境は,私にとって厳しくもあり,また自分を飛躍させる素晴らしいチャンスだったと思います.
 掘削予定地までの移動が終了すると早速掘削が始まります.今回の航海では,バルバドスから掘削地点までの距離が比較的近く,出港の2日後には地層が詰ったコア試料が船上に上がり始めました.コア試料は約10mの透明なプラスティックチューブとその中に詰った地層から成ります,海面下数千メートルに存在する地層は,当然温度も海底水温に近く冷え切っています.そのためコア試料は船上に上げられ1.5m間隔で切断された後,室温中で数時間保管されます.室温と等温になったコア試料は帯磁率や自然ガンマ線量の計測をされたあと,垂直に半割されます.半割された試料は一方は保存用,もう一方はサンプリング用として利用されます.保存用コア試料も船上で記載,古地磁気測定,そして写真撮影などの非破壊作業を受けた後に冷蔵庫に保存されます.サンプリング用コア試料はミーティングで決定された分配プランに従い組織的にサンプリングされていきます.この一連の作業は,各分野の研究者,そして研究活動の補助を行ってくれるテクニシャンによって,コア試料が次々と上がる中で非常にスムーズに進行していきます.私も含めて各研究者は0-12時,12-24の2交代制で,この一種の流れ作業を進めていきます.本航海始めの頃は,この慣れない12時間労働で精神,体両方ともに激しく疲労したことを覚えています.

 ODPの航海では通常1つの掘削地点で3回以上の掘削を行うことが多いようです.掘削地点をSite,それぞれの掘削孔をHoleと呼びます.本航海ではSite 1257~61の計5 Siteで,それぞれHole A~Cまで掘削が行われました.各Siteの終了後には,それぞれの分野の結果についての速報をおこなうミーティングが開かれ,これをもとにレポートを提出が要求されます.本航海では各Siteの掘削開始前にそれぞれの分野毎に責任者がCo-Chiefによって指名されました.航海のテーマによって,各分野で乗船研究者の数が違い,このため多少の仕事量の差が生じます.今回,古地磁気分野は2人だけだったため,幸か不幸か私は計2 Siteで結果報告とレポート作成の責任を負うことになりました.結果的には拙い発表になってしまいましたが,私の結果を他の乗船研究者に認知してもらうことが出来た良い機会だったのではないかと思います.
 ところで,肝心の地層ですが,詳細はこのページでは語ることを避けます.これから後沢山のレポートや論文を書く機会,または義務があるので,そちらに航海の詳細な結果報告は譲りたいからです.ただし,本航海では目的とした地層を多くの地点で回収率良く採取することができ,このコア試料から後々多くの発見があることが期待されること.また,掘削地の地理的条件からK/T境界をこの目でしっかりと見るという素晴らしい経験をしたことについては書いておきます.

 約2ヶ月の航海では,研究だけではなく様々な催し物がありました.代表的なものとして,凧揚げ大会と赤道祭がありました.赤道祭は日本ではあまり馴染みのないものかもしれません(僕も最近まで知りませんでした).これは赤道を船で通過した経験の無い者(Polliwog)は必ず受けなくてはならない一種の試練の様なものです.このページを見ている方の中にも将来経験する機会のある人もいるかもしれないので内容は明かしません.なぜならPolliwogには内容を教えてはならないというルールがある(らしい)からです.しかし,赤道祭を初めとする催し物は,変化の乏しい船内生活の貴重な刺激であり,忙しく働く私たちにとって束の間の休息となりました.
 J.R号は予定されていた掘削を終了し後,ブラジルのリオデジャネイロまでの全11日間の航海を経て,本航海の全日程を終了しました.他の研究者とともにデッキで見た夕焼けに霞むリオデジャネイロの風景は,二ヶ月ぶりの陸地と言うことも加わり,一生忘れることの出来ないと思います.正直に言うと,航海海中はかなり辛い時期もあり,二度と乗船したくないと思ったこともありました.しかし,不思議に今振りかってみると,沢山の素晴らしい経験が思い出され,また乗ってみたいな考えている自分に驚かされてしまいます.

進学あれこれ
 昔も今も地球科学を志す高校生,大学生は少なからずいるともいますが,その興味は人それぞれであり,また時間経過とともに変わっていくものだと思います.私がこの分野に興味をもったのは高校進学以前だったと記憶しますが,生来なまけものの私はそのために努力したり,進学先を調べたりといった苦労もせず大学へ進学しました.そして,そこで初めて本格的に触れた地球科学が「野外地質学」であり,やがて私も「野外地質学」に馴染み,その大変さ,楽しさを味わいながら修士課程終了も迎えました.しかし,その時進学を選び,研究者を志すことを決めた私は,それまで学んできた「野外地質学」よりも,その傍で着実に興味を増していたグローバルな「古環境学」に大きな魅力を感じていました.これはもしかしたら大きな回り道で,将来後悔することになるかもしれませんが,今私はこの新たな世界の魅力に引き込まれています.このように地球科学には様々な分野があり,私のように回り道をしながら研究対象を変えていく人もいます.これから地球科学を志す人,またもしかしてこのページを見て新たに興味を持った方は,ぜひ僕らの世界を見に来てください.一緒に新しい地球科学を築きあげましょう.