学生の声

月化学組成の理解に向けて

酒井 理紗(地球惑星システム科学講座・博士2年)

 地球惑星科学専攻では、地球深部から太陽系外のかなたまで空間的・時間的に非常に幅広いスケールの研究テーマを、観測や実験、数値シミュレーションなどさまざまな手法によって取り組んでいます。その中で地球惑星システム科学講座はこれらの各事象の相互関係をシステムとして捉え、系全体としての自然科学を統合的に理解することを目指しています。ここでは私が行っている月科学の研究内容について簡単に紹介します。本専攻に興味がある学生さんが進路を検討する際に、少しでも参考になれば幸いです。

月からの課題

 月は地球の唯一の衛星であり、また人類が唯一実際に到達したことのある地球外天体でもあります。他の地球型惑星に比べると小さいため早くに冷却して現在火成活動はなく、大気もプレートテクトニクスもないために、その表面には比較的初期の状態をよく保存した岩石が存在しています。よって月は地球や火星などの岩石惑星の初期進化を理解する上で非常に良い研究対象であるといえます。

写真1:「かぐや」のハイビジョンカメラによって撮影された地球の出。

 Apollo計画、Luna計画に代表される60年代~70年代の月探査以来、近年再び活発な探査が行われています。2007年9月に打ち上げられた日本の探査衛星「かぐや」も、これまでになかった精度の正確な月全球地形図や、全球規模の表層鉱物の組成や分布など、月に関する詳細なデータを膨大に取得し、2012年現在も次々と新しい成果が報告されています。

 しかし、このような探査では表層付近の情報しか得られないため、これらのデータからのみで月深部の内部構造や全体の組成は推定することは困難です。従来月の質量や慣性能率などからも推定が試みられてきましたが、十分な精度はありませんでした。月はどのような形成・進化を経験し、どのような化学組成・内部構造を持っているのでしょうか?

月地殻とその形成過程

 やはり月で最も多く手にすることができるのは表層の情報です。月の表面は全体的に白っぽい「高地」と呼ばれる領域と、日本ではよくうさぎに例えられる「海」と呼ばれる黒っぽい領域があります。月の地殻は高地と呼ばれる領域であり、深さ数十kmの斜長岩で構成されると考えられています。海は高地よりも年代が若く、MgやFeを多く含む玄武岩が大きなクレーターを埋めるように存在していることが知られています。このような月の高地や海の岩石学的特徴を説明する説として、マグマオーシャン説が提案されました[Wood et al. 1970]。この説では月はかつて深さ数百kmにわたって全球規模で溶融しており、このマグマオーシャンの冷却に伴って析出した結晶が周りのマグマより重ければ沈降し、軽ければ浮上するという結晶分化が起きることによって、密度の小さい斜長石が月表面に集まり斜長岩質地殻が形成したと考えられています。また海は地殻形成後に、火成活動によって上部マントルが一部溶融してできたとされています。

図1:マグマオーシャン説の概念図。マグマより軽い斜長石が浮上して月地殻を形成したと考えられている。

 このようにマグマオーシャンの分化によって月の内部構造が形成されたことは他にも数多くの地球物理的・化学的証拠から示唆されていますが、マグマオーシャンの規模や化学組成については未だによくわかっていません。初期マグマオーシャンの化学組成は月全体の化学組成や内部構造推定と強く関連していると同時に、月の進化を理解する上で非常に重要な初期条件です。そのため従来、地震波速度や高地・海の岩石組成を用いた数多くの研究によって初期マグマオーシャンの化学組成が推定されてきましたが、現在でもそれぞれ推定値に大きな幅があり、議論が続いています。

表層のみの情報だけでなく、月地殻形成条件を考慮することで月地殻の観測事実と整合的なマグマオーシャンはどのような組成であるべきかを理解するというのが私の研究の一番の目的です。

【研究結果1:マグマの密度・粘性測定実験】

 表層の観測結果から物理モデルを用いて月全体の化学組成や内部構造を推定するには、モデル計算に必要な高温高圧下でのマグマの密度や粘性などの物性値を理論から求める事が難しいため、実験によって決める必要があります。

写真2:ピストンシリンダー装置と実験後の試料(白球は窒化ホウ素)。球が浮上/沈降した距離を測定してマグマの密度と粘性を求める。

 実験ではピストンシリンダーという装置を用いて、斜長石が析出するようなマグマオーシャンの温度圧力条件(~1250-1300°C、~1万気圧)を再現します。長さ1cmほどの白金カプセルの中で、密度の分かっている球がマグマ中でどのくらい浮上/沈降したか測定することでそのマグマの密度・粘性が測定できます。斜長石析出時のマグマオーシャンの化学組成を想定したいくつかの組成のマグマに対して密度・粘性を測定しました。マグマの物性に最も強く影響すると考えられるFeO量をパラメーターとしたいくつかのマグマ組成に対する実験から、マグマ中のFeO量が少ないようなマグマでは密度が小さすぎて斜長石が浮上できず、またFeO量が多いほどマグマの粘性は小さくなるという強い傾向が見られました。

 マグマオーシャンはその規模と低い粘性のため非常に激しく対流しています。このような激しい対流マグマ中で、斜長石が浮上して分離するためには、斜長石の上昇速度はマグマの対流速度に比べて十分に大きい必要があります。実験によって求めたマグマの物性値を用いて対流速度を計算し、月高地の岩石観察から得られたサイズの斜長石が浮上するための条件から、初期マグマオーシャンのFeO量は地球のマントル組成と同程度かそれより大きいことが示唆されました。

【研究結果2:月地殻の希土類パターン】

 希土類に属する元素は、ほとんど3価となりイオン半径も類似しているため、地球化学的性質が互いに良く似ています。そのため、それらのパターンから岩石の形成履歴の推定に利用されてきました。

図2:主要鉱物に対する希土類元素の分配係数。単斜輝石(augite)による
分配係数の傾きと斜長石のEu異常が大きな特徴。

 以下の図は月のような還元的環境下での主要鉱物に対する希土類元素の分配係数を示しています。かんらん石や斜方輝石も希土類元素に対して傾きがあるように見えますが、分配係数は桁で小さく(縦軸は対数表示)、ほとんどこれらの鉱物には希土類元素は入りません。一方、単斜輝石 (high-Ca輝石)の分配係数は左肩下がりとなっていて、単斜輝石が析出・分離すると系の希土類パターンの傾きはその量に応じて変化します。また地殻を構成する斜長石は還元的環境下では2価を取りうるEuがCaの代わりに入るため、Euに濃集した分配係数となっています。

 これらの特徴を利用して分析されている月地殻の希土類パターンからマグマオーシャンからの析出鉱物を推定すると、単斜輝石は地殻形成開始以前にはほとんど析出しなかった可能性が高いことが示唆されました。このことから初期マグマオーシャンのCaO量、Al2O3量は地球マントル組成の1.5倍より少ないことが示されました。

これから

 今まで行ってきた研究成果の一部を簡単に紹介しましたが、月の内部構造、化学組成の制約という大きな目標に向けて、できるだけ広い視点で手法にとらわれずこれからも邁進していきたいと思っています。さらに月の化学組成と初期進化を理解することで、太陽系内/外の固体惑星一般に対する初期進化にも応用していきたいと考えています。

専攻への進学を考えている方へ

 繰り返しになりますが、地球惑星科学専攻では幅広い研究分野を多様な手法で取り組んでいます。自然科学に興味がある人なら、きっと面白いと思えるテーマ、自分に合った手法を見つけることができると思います。自分の研究テーマ、研究手法をきちんと見極めて探し出すことは非常に難しいことですが、常に主体的に考えて小さなことでも疑問に思うことがとても大切で、私も道に迷ったときは意識するようにしています。研究に対するスタンスや周囲との関わり方は人それぞれですので、ぜひたくさんの教員、院生の方々の話を聞いて、自分に合った道を探してみてください。