学生の声

 大学院体験記と風成塵をめぐる研究
  長島 佳菜 (地球惑星システム科学講座 2005年3月博士号取得)

 

 大学院生って何をしているのだろう?研究ってなんなのか?ここではこうした大学院生活をめぐる謎について,実体験に基づいてお話しようと思います.主観的な話ですのであしからず.

地球惑星科学専攻の大学院生へと至るやや平坦な道のり
 大学の学部生時代には,必修の授業の一環である基礎実験に全く興味が持てなかったトラウマからか,「私は科学と縁がない」と思い込んでいました.そんな不幸な関係の架け橋になったのが,地学科への進学後,毎年数回の頻度で行われた野外巡検でした.伊豆大島,丹沢,高知県の室戸岬,そして北海道と様々な場所へ繰り出して行き,地層や岩石から過去の環境を読み解く授業では,一見雑然として見える自然にも,それらをコントロールする規則性が背後に存在し,そうした規則性を突き止めることで自然のしくみの解明に一歩ずつ近づくのだ,ということを教えてくれました.そして自然科学には首をつっこんでみる価値があるぞ,と思ったのです.今となっては地球惑星科学科の大学院に入学した本当の理由は忘れてしまったので,そういうことにしておきます.

大学院サバイバル生活-その1-
 学部生から大学院生への変化は,高校生から大学生への変化よりも大きいように思えました.黒板に書かれた知識をせっせとノートに写し取る,もしくは答えがある問題を早く解くこと,が中心となる生活はせいぜい学部生までの話です.大学院での研究生活とは,「答えが出ていない意義のある問題を見つけだす」という慣れない作業に始まり,その後には「問題の解を得るためのアプローチ方法をデザインする」で普段使っていない頭の筋肉を使ったためひどい筋肉痛に悩まされるようになり,「試料採取,実験,解析」で栄養ドリンクを飲み始め,そして「得られた結果に基づき問題に対する答えを議論する」で右往左往し,「成果を学会や論文で発表する」で息も絶え絶えになります.その間には,「実験に失敗する」,「問題点を見失う」,といった悲惨な状況をしばしば挟みます.そして,「どうしたら良いのでしょうか?」などとついつい先生に聞いては,「自分で考えなさい」と突き放されたりもします.つまり,解答が巻末に載っている問題集の如く便利でオチがちゃんとある世界を後にして,問いかけと答えを自分で調達して来なければならない,サバイバルな世界に足を踏み入れていくのです.

大学院サバイバル生活-その2-
 では,そんな苦行のどこに大学院生は面白みを感じるのでしょうか?まず2つの点が挙げられます.1つめは,学問という分野で,消費する側から生産する側へ移った点です.自分自身が生産した研究テーマも結果も,いわばオリジナルな商品となり,陳列されて人々の評価を受けるようになります.たとえ高級でなくとも,世界にまたとない商品を生産することの喜びはひとしおです.2つめは,到達地点が予測不能である点です.研究を進める上で,浅はかな予測に対する裏切りは往々にしてやってきます.例えば,計算上はこういった値が出るはずなのに実験結果は違う値を示す,といったことです.そうした場面に直面すると,なぜそのような結果になったのか,原因究明に向けて知恵をぎりぎりまでふり絞って,脳味噌が熱くなるまで考えます.その結果,想像していなかった角度から不意に答えが見えてきて,自分自身の限界を超えた結論が得られることがあります.こうした学問の側面に触れるのが大学院生活の醍醐味であると,模範解答として言うことができます.次に私自身の正直なところを簡単に述べると,嫌いだった実験も,また教科書(大学院では主に論文)等でわからないことを調べて知識の補強をするという面倒くさい作業も,必死で,本気でやったら“大変だけどむちゃくちゃ面白くなった”,ということに尽きます.

手前味噌の話-具体的研究紹介-
次に私自身の研究内容について紹介しようと思います.

 私の行っている研究は「古環境学」と呼ばれる分野に属します.古環境学とは,海底や陸上の堆積物等を用いて,化学的・物理的・生物学的なさまざまな手法を駆使して過去の環境やその時代変化を復元し,我々の人生に匹敵するような時間スケールから,より長い時間スケールでの地球環境の変遷について理解を深める学問です.数時間・数日先の天気予報や,例えば今年が暖冬かどうかといった予測は,現在の観測や気象の分野で盛んに行われていますが,100年や200年先くらいのけっこう先のことだけど私たちと無関係ではない,そんな時代の地球環境をリアルに思い描く際に力を発揮するのが古環境学です.

 さて1990年代前半,グリーンランドにおいて採取された氷床コアの解析から,過去約10万年の間に数百年~数千年間隔で繰り返された気候変動の存在が明らかになりました.この変動は,僅か10年余りの間に10度近くもの気温変化を伴い,その後の研究から,少なくとも北半球全域に及ぶ規模であることがわかってきたため,現在の気候の安定性を理解する上で重要な現象であると言えます.しかしながら,変動を引き起こす究極原因や北半球全域へと広がる過程は未だ解明されていません.一方1990年代後半に入ると,アジアモンスーン強度を示す古環境指標から,この急激な気候変動に連動した変動が復元され,急激な気候変動が北半球全域へと広がる過程において,アジアモンスーンが何らかの役割を果たした可能性が示されました.そこで私は,大学院から現在まで,日本海の海底堆積物からアジアモンスーンや偏西風の指標とされる風成塵(春先になると日本に飛ばされてくる“黄砂”そのものです)を抽出し,その粒径や含有量,そして供給源を調べ,急激な気候変動が北半球全域へ広がる過程で,“アジアモンスーン”およびモンスーンと共に東アジア地域の大気循環を特徴付ける“偏西風”がどのように寄与しているのか検証を行っています.日本海は,風成塵が巻き上がる中国内陸部のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠といった乾燥地域の東に位置し,偏西風によって毎年多量の風成塵が運搬されます.そして風成塵の飛来量やその粒径は,それぞれ夏季モンスーン性の降雨の影響を受ける乾燥地域の分布や,運搬する偏西風の強さを反映すると考えられるため,日本海に堆積する風成塵は,モンスーンや偏西風の過去における振舞いを調べる対象として,うってつけだったわけです.しかし,日本海の海底堆積物には,風成塵の他にも海洋生物の遺骸や,日本列島から河川を伝って供給された砕屑物が堆積しているため,そもそも風成塵だけをどうやって取り出すのか,ということが大きな問題となって立ちはだかりました.海洋生物起源の物質は酸やアルカリを用いた化学反応によって取り除くことができますが,共に石英を中心とした鉱物から構成される風成塵と日本列島起源の砕屑物を区別することは大変です.そこで,石英の性質を粒子のサイズ毎に詳しく調べ,風成塵と日本列島起源の砕屑物が粒子サイズで区別できるかどうか,試すことにしました.風成塵と日本列島起源の石英の区別するために,ESR(電子スピン共鳴)分析によって測定される石英の不対電子量と,XRD(粉末X線回折)分析によって測定される石英の結晶化度という2つの指標を組み合わせて用いたことが,私の研究のオリジナルな点のひとつです.これらの指標を用いた結果から,日本海堆積物のクレイサイズ(4ミクロン未満)の石英は,主に日本列島起源の石英によって構成され,シルトサイズ(4ミクロン以上)の石英は,ほとんどが風成塵によって構成されていることが明らかになりました.こうした結果を踏まえ,日本海堆積物のシルトサイズ粒子を抽出することで,風成塵について調べることが出来るようになりました.



日本海で採取されたピストンコア試料を,各研究機関の研究員で分けている様子.直径10 cm余りのコア試料(写真中央)は,分析目的に応じたサンプリングがなされる.

表層セミナー
 最後に私が現在所属している表層セミナーについて簡単に御紹介します.多田先生,田近先生,横山先生,の3名の教官と,それぞれの教官の指導を受けている約20名の学生/PDから構成される表層セミナー(詳しくは表層セミナーのホームページへ)では,野外調査,実験,理論的手法を用いた,地球環境の進化,変動の復元を行っています.重点をおいて取り組んでいる研究テーマは,1)原生代スノーボールアースイベントと生物進化,顕生代大量絶滅イベントと地球環境変動,2)ヒマラヤ-チベットの隆起とアジア・モンスーンの成立,3)数百~数千年スケールの急激な気候環境変動メカニズム の大きく3つで,地球史という壮大な観点から,はたまた我々の人生に匹敵するような百年スケールでの詳細な環境変動まで,幅広い視野を身につけることが出来ます.興味を持たれた方は,是非セミナーを見に来てください.

おまけ:研究テーマや研究室決めにはご注意を
 大学院入学前後のまだ若かりし時期に,ある日のニュースや,何らかの体験によって,出会いがしらに素晴らしい研究テーマにぶつかることはまれです.中には自分でさっさと研究テーマを決めて大学院へ入学してくる人もおり,それはそれで素晴らしいことですが,入学後に研究テーマを指導教官と相談して決めてもなんら問題はありません.例え自力で見つけ出した研究テーマでなくとも,その後の研究に対する自分なりのこだわりやテーマの掘り下げ方などによって,いくらでも「自分の研究」に変えることができます.ですから,広く下調べをしないまま研究テーマを決めてしまって,そのテーマに一番近い研究を行っている学科・研究室を選び,入学後に指導教官との相性が最悪であることに気づく,なんてことを避けるために,大まかな方向性だけ決めたら早くから幾つかの研究室に顔を出して,教官の研究スタンスや指導方法に共感できるかどうか,その研究室の学生が生き生きと研究をしているかどうか,そして研究室の口の軽そうな院生に「本当のところどうなのよ,この研究室?」としつこく聞くことをお勧めします.