海洋大循環

地球を巡る怒濤の流れ。その原因は何だろうか

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■ 風成循環

全世界の海流分布図を見ると、海の流れが太平洋・大西洋・インド洋の各大洋の中で一巡りして閉じる複数の大きな循環で構成されていることがわかります。 また、この循環のパターンが海上を吹く風の分布とよく対応しているのもわかります。 例えば北太平洋には、低緯度の貿易風帯と中緯度の偏西風帯に挟まれて亜熱帯循環とよばれる時計方向に回る循環と、偏西風帯より北側には亜寒帯循環とよばれる半時計回りの循環とが存在します。 日本の太平洋沖を流れる黒潮や親潮はその流速が秒速1mを超える強い海流ですが、それぞれ亜熱帯循環と亜寒帯循環の西端の一部分を見ている訳です。 このような海洋大循環のことを「風成循環」と呼びます。 文字通り、海上を吹く風の力が成因となって生じる循環であり、海洋の表層から深さ数百m位までの運動はこの風成循環によって支配されています。

では、この海洋の風成大循環はどの様な仕組みで駆動されているのでしょうか? おそらく大部分の人が、この循環が偏西風や貿易風によって海水が風下方向に押し流されることで形成されると考えると思います。 しかしこれは大きな誤解です。 現実には直感に反して、海上を吹く風によって表層の海水は風向きと直交する方向に流れていくのです。 この不思議な振る舞いは我々が自転する地球にのって海洋の運動を見ていることに起因するもので、「コリオリ効果」と呼ばれます。 この効果は天気図の中にも見ることができます。 大気の運動も海洋と同じくコリオリ効果の影響を受けています。天気図を見ると、大気が等圧線に沿って流れているのがわかります。 しかし、このときに大気は流れの方向には力を受けておらず、実際には気圧の高いところから低いところに向かって等圧線に直交する方向すなわち流れに直交する方向に力(「圧力傾度力」)を受けています。 この様に、コリオリ効果によって、海洋や大気は作用する力の方向に対して北半球では直角右方向、南半球では直角左方向に流れるような性質をもっています(注意:海洋・大気中に生じる全ての運動がこの様に振る舞う訳ではありません。 コリオリ効果が発揮されるのは、一般に時間スケールが一日よりも十分に長いような運動に限られます。 また、赤道上ではコリオリ効果が働かないために、赤道帯に生じる運動も例外となります)。

このコリオリ効果を考慮して、風成循環が駆動される仕組みを考えてみましょう。 例として北半球の亜熱帯循環を考えます。 まず、亜熱帯領域の北側を東向きに吹く偏西風によって、表層付近の海水はコリオリ効果により南向きに輸送されます。 一方、南側の貿易風によって表層海水が北向きに輸送されます。 その結果、表層海水が亜熱帯領域の中央部分に集まるので、そこの海面が盛り上がります。 海面が盛り上がると海面下の圧力が増加するので、亜熱帯領域の海洋内部には中央から外側に向かって圧力傾度力が生じます。 結局、この圧力傾度力が風成循環を直接的に駆動する力となります。 すなわち、天気図の中にも見られるように、圧力傾度力とコリオリ効果によって海洋内部には圧力が高い中央部分を常に右に見る流れが生じ、この流れが時計回りに一巡することで亜熱帯循環が形成されます。 この様に、風成循環の形成にはコリオリ効果が本質的に重要な役割を果たします。

海洋の風成循環は、さらに上述の仕組みでは説明できない重要な特徴を持っています。 全世界の海流分布図を眺めると、北太平洋の黒潮や親潮、北大西洋の湾流、南太平洋の東オーストラリア海流など、特に強い海流が各大洋の西側に偏って存在していることがわかります。 この強い海流を総称して「西岸強化流」と呼びます。 上述の説明では風成循環が示すこのような著しい東西非対称性の原因を説明することができません。 その根本的な原因は、地球が丸いためにコリオリ効果が高緯度に向かうほど増大することにあります。 これを「ベータ効果」と呼びます。
詳しい説明はできませんが、このベータ効果によって「ロスビー波」と呼ばれる西向き方向のみに伝播する特異な性質をもつ波が発生します。西岸強化流は、ロスビー波によって風成循環の中央の海面の盛り上がりが西側に移動させられることによって形成されます。

現実の海洋は、上述の風成循環のパターンの上に重なって「中規模渦」とよばれる直径数十~数百kmの渦が満ちており非常に乱れた状態にあります。 現在では、スーパーコンピュータを使った数値シミュレーションによって、そのような時空間的変動に富んだ現実の海洋循環場をかなり精度よく再現できるようになっています。 しかしながら、風成循環と中規模渦とがお互いに影響を及ぼしながら共存している状態について、その物理の本質的理解はほとんど進んでいません。 その他に、風成循環に関する問題で日本に特に関わり深いものとして、黒潮の流路変動の問題があります。 黒潮の安定な流路には、大別して日本列島に沿って直線的に流れるものと、紀伊半島や伊豆半島沖で大きく南に蛇行するものとがあります。 黒潮はこの直線流路と蛇行流路のあいだをおおよそ数年単位で不定期に移り変わり、それにともない日本の沿岸気候や漁業環境に大きな影響をあたえます。 しかしながら、黒潮の流路変動の発生する切っ掛けや力学機構について、今まで数多くの研究がなされてきましたが未だ完全な理解は得られていません。

■ 熱塩循環

風成循環の影響がおよぶのはせいぜい水深千数百mより浅い部分に限られます。 それ以下の深層領域には別の種類の海洋大循環が存在します。 「熱塩循環」と呼ばれるもので、この循環は海水密度の海域による違いが原因で生じます。 高緯度域の表層水は大気から強い冷却を受けるために密度が増加して沈降します。 熱塩循環とは、深層まで沈降した表層水がそれまで深層にいた海水を押しのけながら全海洋の深層を巡っていくものです。

図1は熱塩循環にともなう深層の流れ場の模式図を示しています。 現実の海洋で、表層水が深層に達するまで強く沈降する場所は、北大西洋のグリーンランド沖と南極近くのウェッデル海に限られていることがわかっています (図中の黒丸)。 グリーンランド沖で形成された深層水は大西洋を南極まで南下して、南極起源の深層水と合流した後、南極大陸の周りを通ってインド洋と太平洋の中に流れ込ん でいきます。 深層の循環場において強い流れが各大洋の西岸境界に偏っているのは、風成循環と同じくベータ効果によります。 この深層の流れによって、それまで深層にいた海水は押し出されて、やむをえず上昇を始めます。 こうして表層にまで湧昇した古い深層水は、表層海洋を運ばれて再び深層水の形成海域である北太平洋や南極海に戻っていきます。図2は、熱塩循環が全海洋の 表層から深層までを巻き込んで一巡する様子を概念的に示したもので、提唱者にちなんでブロッカーのコンベアーベルトと呼ばれています。

この熱塩循環は極めてゆっくりしたペースで流れます。 熱塩循環の水平流速はせいぜい秒速1cm程度で風成循環に比べて桁違いに小さく、この循環が全海洋を一巡するのには1000年程度の時間を要すると考えられています。 とはいえ、熱塩循環は、風成循環のように各大洋の内部で閉じることなく、海洋全体に膨大な量の水や熱、各種の化学物質を輸送するシステムを形成しているために、長期的な気候変動をコントロールする最も重要な要素の一つであると考えられています。
したがって、熱塩循環の実態を把握することは、地球温暖化を始めとする気候変動を理解する大きな鍵となります。 しかしながら、現実の海洋における熱塩循環は未だに大きな謎に包まれています。熱塩循環の流れが微弱である故に直接観測が大変困難であることが、その第一の理由です。 図1や図2は理想化した理論や化学トレーサーの分布に基づいて熱塩循環の様子を大雑把に推測したものに過ぎません。 このような場合にこそ、スーパーコンピュータの力を借りた数値シミュレーションが問題を解決する万能の手段であると思われるかもしれません。しかしながら、ここにも大きな壁が存在します。

熱塩循環において古い深層水が表層へと湧昇していく過程に注目します。 一般に深層の海水密度は表層よりも大きいため、深層水を引き上げるには密度差によるポテンシャルエネルギーの壁を乗り越えなくてはいけません。 その手助けを担うのが「内部重力波」です。 内部重力波とは密度成層の浮力を復元力とする波動で、海洋の深層から表層まで至る所に存在します。 内部重力波が力学的不安定によって崩れると、波のエネルギーの一部を使って上下方向に密度の異なる水塊の混合が発生します。 古い深層水は、この内部重力波による鉛直混合によって、徐々に表層まで引き上げられていきます。 ここで注目すべきことは、この鉛直混合が主に空間スケールが数m以下の内部重力波によって引き起こされることです。
このようなスモールスケールの鉛直混合過程を海洋大循環モデルで再現するためには、単純に見積もって最新鋭のスーパーコンピュータの1015倍以上の計算速度とメモリーが必要となります。 このような計算はかなり遠い将来でもまず実現不可能です。 そこで実際の熱塩循環の数値シミュレーションでは、鉛直混合過程の再現を断念する代わりに、その影響を鉛直渦拡散係数というパラメータを使って表現します。 しかし、ここに大きな問題が発生します。 図3に示すように数値モデルで再現される熱塩循環の強さやパターンが、モデルで仮定する鉛直拡散渦係数の大きさに鋭敏に依存して変化してしまうのです。 このことは、全地球規模の熱塩循環がスモールスケールの鉛直混合過程に強くコントロールされてしまうことを意味しています。

しかしながら、現実の海洋における鉛直渦拡散係数の値は、未だにそのオーダーさえ完全に把握できていません。 しかも、鉛直渦拡散係数は全海洋規模で時空間的に大きく変化していると考えられています。 そのため、高精度の熱塩大循環モデルひいては気候変動予測モデルを構築するための緊急の課題として、現実の海洋におけるスモールスケールの鉛直混合過程の実態を明らかにするための研究が現在活発に進められています。

[ 図1 ] 熱塩循環にともなう深層の流れ場の模式図

[ 図1 ] 熱塩循環にともなう深層の流れ場の模式図

[ 図2 ] ブロッカーのコンベヤーベルト

[ 図2 ] ブロッカーのコンベヤーベルト

[ 図3 ] 鉛直渦拡散係数を0.1cm2s-1(上)、0.5cm2s-1(中)、2.5cm2s-1(下)と変えておこなった熱塩循環の数値実験

[ 図3 ] 鉛直渦拡散係数を0.1cm2s-1(上)、0.5cm2s-1(中)、2.5cm2s-1(下)と変えておこなった熱塩循環の数値実験得られた南北循環の流線関数 [ Bryan ( 1987 ) より引用 ]

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